「大地讃頌」

「これより北方の山へと向かい、そこにあると言われる『始まりの土』を見つけてこい」。おばばからの試練を言い渡された主人公リクによる冒険譚。果たして始まりの土を見つけられるのか、始まりの土とはなんなのか。原泉アートデイズ2021、中瀬千恵子さんの展示会場にて、映像付きで披露しました。

「私は嘘である」

――私は嘘である。私は人間の吐く嘘であり、人間が作る嘘であり、人間が築き上げた嘘であり、人間の言葉に孕む嘘であり、人間の心に内在する嘘であり、人間を蝕む嘘である。「嘘」が「私」と名乗って語り出し、人間と嘘との切っても切れないお話についてくどくど語ります。原泉アートデイズ2021、Omedarida(中村優・薮下)さんの展示会場にて、映像付きで披露しました。「私は声である」に続く擬人化シリーズに位置付けたい。

「物の怪」

小高い丘にぽつんと建てられた家に、なぜか足しげく訪れてしまう「私」。そこに蔓延るモノの気配、かつての暮らしの気配、などなどを感じていると、突如家の精霊かと見まがうような白い少女が降り立った。そうして静かに右手の人差し指を口元によせ、「しーーー」。原泉アートデイズ2021、ロビン・オーウィングさんの展示会場である居尻レジデンスの庭先にて披露いたしました。

「山は清く流れ、川は高く聳える」

木こりのポールバニアンと集落で暮らす少女との交流を描く。山を川と言い、川を山と言う、という設定から既存の言葉の定義や、季節の表現の捉え方を考えます。2人が織りなす一人称をスイッチして4場で構成。原泉アートデイズ2021、弓場勇作さんの展示会場にて披露いたしました。

「始まりの泉」

「今から始まる物語の語り手は、私ではない。」という冒頭から、語り手それ自体も物語の登場人物として登場させるほか、物語の構成要素(物語素)、主人公、風景、脇役、心理、それぞれを人格を持ったものとして語らせ、これから紡がれる一つの物語についてあれこれ議論を交わす。原泉アートデイズ2020、北見美佳さんの展示会場で、映像つきで披露いたしました。

「生贄」

「帰れ。さもなくば置いて行け。命もろとも、この神殿の生贄となれ」。森に迷い込んだ「私」と、奥深くに佇む神殿の神聖なる何か、との問答。いったいどちらが生贄となるのか、生贄とは何に対するものなのか。原泉アートデイズ2020、野々上聡人さんの展示会場で、マルチチャンネルスピーカー音読にて披露しました。

「へうげの社」

大和田トンネルが竣工した平成7年の暮れの頃、とある無辺者がトリッキーなまじないを張り巡らしたことに端を発する――。長い長いトンネルを抜け、うらぶれた「ひょうげ」の社の前まで誘います。擬音語のカットインの技法。

「出来事屋の娘」

出来事を売ることで生業としている出来事屋。そこを切り盛りする一人のいたいけな娘は、ある一粒の「出来事の珠」を取り出して見せ、「まだ自分にはどの珠にどんな出来事が込められているのかが、はっきりと分かるまでの力量は持ち合わせていませんが、この珠だけは……」といい、長い述懐を始める。たまたま訪れた「私」による一人称物語体、シャッフルの技法。原泉アートデイズ2020、水戸部春菜さんの展示会場にて映像付きで披露しました。

「縞瑪瑙(しまめのう)」

縞瑪瑙と呼ばれる鉱石をもらった「私」。透き通る赤と乳白とが織りなす赤縞瑪瑙は、私にとって日本を思い出すための石ころだったが……。2020年7月にyoutube上で発表しました。

「風神と雷神」

これは俵屋宗達が筆「風神雷神図屏風」が出来上がる前夜の物語。天蓋より見晴るかす風神と雷神の愉快痛快なお喋りを重ねながら、相対する両者のあいだに横たわる空白、語る者と語られる者とのあいだの緊張感に意識を差し向け、文章の構造を脱臼させます。2020年3月24日に開催した安藝悟作品集展で、あべよしみ氏、西山仁実氏、山梨歩美氏に披露していただきました。

「From left to right(副題:東京)」

2019年11月に弾き語りミュージシャンのアートモバイル氏とのコラボレーションで披露しました。氏の作品「東京」とセッションするために書かれ、同作品のモチーフを抽出しつつ3部構成の作品に。

「古田老人と百合子」

古田老人が買う女はいつも決まって名前がなかった。あるとき、昔愛した百合子と瓜二つの女を見つけ、それを百合子として寵愛する古田老人だったが……。

「ある主人の死」

家に帰ってきたら主人が倒れていた、それを見つけた私は懸命の蘇生行為を行っただけなんです、と主張する「私」の一人称インタビュー体小説。

「手癖の悪い奇術師の手つき」

マジシャンの蓬生氏とのコラボレーションを念頭に書かれた作品。何もない手のひらから、赤い玉を取り出したり、コインを消したり、あなたの心を抜き取ったりします。

「八重芯」

イルターボロで開かれるピアニスト、皆川育代のコンサートを心待ちにしていた「私」による一人語り。「張り詰めた会場の中、糸を通すほどのか細さで、緊張のしじまを劈くように、A列車が走り出したーー。」2019年4月、ピアニストの皆川育代氏とのコラボ「春、うららかに 薄霞、紫勃ちたる」の劇中、ラジオドラマとして披露しました。

「DJマカロンの絶叫ラジオ2」

2019年4月、ピアニストの皆川育代氏とのコラボ「春、うららかに 薄霞、紫勃ちたる」で披露しました。

「概念のお遊戯」

2019年4月に開かれた静岡を拠点に活動する美術家の中安モモ氏による個展「ピンクは血の色3」のオープニングイベント「いんざぴんく いんざだぁく」で披露した作品。ある4つの概念を巡る3人称小説。中安モモ氏のエレキギターとコラボレーションしました。

「生産性のない私たち」

2019年3月に開かれたイベント「七間町ハプニング」参加作品。6人の語り手を擁して上演するために書かれた数珠繋ぎ的作品。以下、紹介文から
「石川家具店を経営する老女は、とある依頼を受けて数十年ぶりに旧屋敷を訪れる。屋根裏部屋で絢爛な装飾が施された平箪笥を見つけた瞬間、伝統的家具職人とされる石川有範と、彼をめぐる6人の物語が始まる。実在したのかどうかも分からない石川有範。石川家具店には信憑性の乏しいいくつもの逸話が、職人たちの中でまことしやかに、かつ魅惑的な響きを持って伝えられてきた。伝統ある家具屋を受け継ぐ老女、有範を題材にした映画を撮る女監督、玉川座に出演する舞台女優、しがない饅頭屋の娘、変化に聡く合理的な材木商、謎の少女……。現代の七間町と、100年前の七間町を往還しながら、石川有範の姿を追いかける。」

「ピンチの神様にまつわるどーでもいい屁理屈」

チャンスの神様には前髪しかないといわれるが、ではピンチの神様には後ろ髪しかないのか、だとしたら何故なのか、を巡ってあれこれ考えました。

「枕草子の冒頭をもう一周してみた」

春はあけぼのーーに続く四季折々を、もう一周してみました。