林檎の絵を描いている私を一人称にした抽象的散文。
小説の中に流れる時間を、語り手の語りによって揺さぶる脱構築的な小説。初演時は「インスタ蠅」「カプセル少女」などと同時に披露するための書き方をし、連結式の作品に。単独上演も可能。
カプセルの中で生まれた少女の一人語り。毎晩、男に呼び出され、そのたびに夜を迎える少女の安寧を求める概念的小説。
ラジオドラマの途中などに挿入するために書かれた臨時ニュース式小説。「厚生労働省がきょう午後、専門家らによる緊急の有識者会議を開き、強力な毒性を持つ特定外来生物、インスタ蠅の繁殖が確認されたと発表しました。」
脹脛(ふくらはぎ)にあてた書簡対小説。「拝啓、デコルテライン様」に次ぐ、体の部位をほめたたえる作品。
かつて静岡・駒形にあったうさぎ屋活版工房をめぐる物語。ティポイズムのような表現を用い、1つの文章で風景と独白の2つを描写するなどの技法を使っています。2018年11月のストリートフェスティバル静岡にて披露しました
2018年9月に美術家の百合野美沙子氏による個展「奇行の理由」(大阪・箕面のアートギャラリーZONE)で披露しました。横断歩道でダッシュする女を見かけた「私」によるダッシュ女のダッシュ性をめぐる考察。
DJマカロンの絶叫ラジオ内の一場面。午後8時現在の道路交通情報と、静岡県内の明日のお天気をお伝えします。
2018年9月、ピアニストの皆川育代氏とのコラボ「真夏の夜の夢精」で披露しました。かつて皆川座と共演した「自由の淑女」における登場人物をスピンオフさせました。
商売道具を忘れがちな大道芸人、猫山犬蔵がうっかり身体を忘れてきてしまい身体のないままパフォーマンスを行います。
静岡で2018年9月に開かれた怪談朗読カフェで、朗読家の西山仁実氏に作品提供し、披露していただきました
静岡で2018年9月に開かれた怪談朗読カフェで披露しました
ラノベのように書かれた冒険日記をリアルに即した暗喩として表現しました
マルチリヨとはポルトガル語で「殉教」を意味する。全国禁教令および伴天連追放令が発せられ、キリシタンに対する徹底した探索と苛烈極まる拷問が繰り広げられていたころ、肥前でとある盲目のキリシタン琵琶法師が捕らえられた。密告者の茂吉と、琵琶法師との対峙。信仰とは何か、信じるとは何か。2018年5月、静岡・駿府城公園などで開かれたストレンジシードにて、8個のスピーカーを円形に並べて音響空間を生み出す「マルチチャンネルスピーカー音読(安藝命名)」によって上演された。
デリジェンスと呼ばれる、価値を数値化したものによって人間がラベリングされ、入れる飲食店や聞いてもよい音楽が決められていくような、監視社会を描きました。
私と私の妻「夏子」が交わす手ックスは、二人の距離を確かめるじれったくも慈しみの込められたやりとりだったが…。
いつもの前口上です。
画家の大叔父様をアトリエを手伝うとも子。ある日、大叔父のアトリエで青年・青木と出会う。大叔父ととも子の秘密。二人の関係を問い詰める青木。
「この赤い色を見て。確実に私の中に流れている、この血の赤色を見て。青木君、全部見て— 」
浅山美由紀展のテーマである「生まれる場所」からインスピレーションを得て書き上げた作品。
バスはいつも定刻より少し遅れながら、しかし確実にバス停に私を迎えに来るーー。バスを待つことと自分のささやかな恋とを重ね合わせる女子高校生の語りを、少し時間のずれやゆがみを持たせて表現しました。
ーー私は声である。私は人間の声であり、人間の心の声であり、動物の声であり、虫の声であり、万物の声である。要するに私は、声という概念そのものである。
人々が会話をする際、人々の言葉を媒介してくれる「声」。そんな声が喋りだしたらどうなるのかという思考実験的作品。2018年3月に開かれたイベント「七間町ハプニング」参加作品。映像付きでの上演で、羅列文、音響風味、主体変化などをちりばめた。